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 「2017年彼岸会法要・報恩講案内」 
                
 「2016年 報恩講の案内」 
                
 「本願寺」 
「親鸞聖人七百五十回御遠忌」基調
インターネットに公開されたぺーじは、貴重な共有財産と認識のもと適宜リンクさせて頂いております。 このページへの ご意見・苦情等は mykougen at kougenan.net までお願いします。 ★…更新… 2017/09/24 10:42:32 「教えの後に必ず言われる言葉」 あなかしこ の意味 本願寺第8世、本願寺中興の祖「蓮如上人」は、お文『御文章』の終わりに、この言葉を用いられている。 「報恩感謝の宗教」浄土真宗では必ず用いられます。 (goo辞書より) (連語) 〔「あな」は感動詞、「かしこ」は形容詞「かしこし」の語幹〕 (1)恐れ多いことですがの意で、書状の終わりにおく挨拶(あいさつ)の語。女性が用いる。古くは男女ともに用いた。 (2)ああ、もったいない。ああ、恐れ多い。 「―とて、箱に入れ給ひて/竹取」 (3)丁寧な呼びかけの語。恐れ入りますが。 「―、このわたりにわかむらさきやさぶらふ/紫式部日記」 (4)(下に禁止の語を伴い、副詞的に用いて)決して。くれぐれも。ゆめゆめ。 「―、愚かにすべからず/今昔 20」 〔「穴賢」とも書く〕 歎異抄(Wikipedia) 歎異抄を読む 「浄土真宗において、亡くなった方に「冥福を祈る」ことはありません。」 詳しくは、ここをご覧下さい。 「謹んで哀悼の意を表します」 「ご遺徳を偲び、哀悼の意を表します」 「ご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます」 を使いましょう。 ━━━━━━━━━━━━━━━ 以下 ネット上のトピックより ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「 」内のキーワードで検索してみました。 「浄土真宗の教え 三つの要」          @他力本願        先回りして案じていてくださる仏さまのお心を、親心にたとえ                       幸せは仏さまの願いにおまかせし、安心して生かしていただくことと思います。          A悪人正機        悪人とは,法律や道徳でいう悪人と違い、自分の本当の心の姿に気づいた人のことで、                       善人とはまだ気づいていない人のことです。                        「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人おや」 歎異抄          B往生浄土        いのちのよりどころさえはっきりしていれば安心で                       後は自分なりに仏さまへの報恩感謝の舞台として                       この人生を生かしていただければよいと思います。                                          狸ばやしのお寺 證誠寺のページより抜粋 「法事 真宗」         亡き人は如来さまのお救いによって、すでにお浄土に参られているのです。したがって、亡き人のために善をふりむける         (追善)必要もなければ、またそんなことができるりっぱな私でもないでしょう。         法事と言うのは「仏法に出会う事」ということで、この仏法はほかでもない私自身のためのものです。         すなわち、法事の場に参集した家族、縁者の一人ひとりが仏法を自分のこととして聞き味わってこそ、意義あるものとな         るのです。亡き人を偲びつつ、この私が仏法を聞く行事、これが法事です。 「五輪塔 真宗」 (五輪塔:主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種。五輪卒塔婆、五輪解脱とも呼ばれる。 五輪塔は、下から方形=地輪、円形=水輪、三角形(または笠形、屋根根形)= 火輪、半月形=風輪、宝珠形=空輪によって構成され、古代インドにおいて宇宙の 構成要素・元素と考えられた五大を象徴する。)         浄土真宗の開祖親鸞上人の子供が流行病で亡くなった時、藁の上に子供を置いて火を付けて焼却している時、         妻がこの子にお経でも唱えてあげて下さいと要望したとき、親鸞上人は”仏法とはそのようなものでは無い”         と言って断りました。         お念仏を喜ぶ門徒は、死後すぐに阿弥陀如来のおられる極楽浄土に往生します。だから、五輪塔は要りません。 「弥陀のもとの個人を偲ぶとともに、本質は私自身が転迷開悟ということでしょう」 「真宗 地蔵」 浄土真宗では阿弥陀如来一仏による救済をあて頼りとしますので、他の仏・菩薩は用いませんし、礼拝の対象としません。 浄土真宗の僧侶としては、帰依の対象ではなくお参りができません。非常に困惑されることになります。 「真宗 般若心経」 浄土真宗はこの世での御利益を願って、何かをする事はすべて弥陀の教えに反すると考えています。 つまり、欲望が苦しみの原因なのだと考えています。 「心経」は、観音の功徳を願い、また、自力本願によって悟りを得んとする内容です。 真宗は、阿弥陀の本願にすがることのみを願う「専修念仏」であって、阿弥陀以外の仏・菩薩への帰依をいたしません。 ※「他の宗派ではやっているのに、真宗ではやっていないというような疑問があれば、調べてみてください。 真宗の本来の教えが分かって来ます。」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「戻る」
昭和六三年九月 本堂改修・山門改築 紀要 小冊子より
                               
     山門表札がいつ変わったのか存じませんが、遅まきながら改定させて頂きます。  
    失礼致しました。(そう云えば以前のものと違うなとは思って居りましたが・・・)  
   
                 「先代の山門表札」  
   
           「現在の山門表札」  
  
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真宗 大谷派 圓浄寺 由緒書 (十七世原稿より) 雲陽誌 (享保2年(1717年)に松江藩の地誌として、黒澤長尚が編さんした地方紙)には次のように書かれていた。 1624〜 圓浄坊  真宗なり本尊阿彌陀如来此寺は寛永の此當浦に納屋喜兵衛といふ者の 建立したりし天台宗の寺なりしか無住になりて禿破したりける何の比が松江の人 来真宗なりけれは上へ訴真宗の庵とはなれり 「戻る」
藤島達朗(ふじしま たつろう) [1907年1月16日 - 1985年1月24日] 大谷大学教授 奈良大学教授 文学博士 董理を務められる。
      
     
     
      【代表的な著書】  
  
                      「大谷本願寺通紀」について  
                      「本廟物語」  東本願寺の歴史  
                      「一遍上人と戒律」  
                      「東方年表」   (東アジア各国の簡便な年代対照表)  
                                    ※藤島達朗・野上俊静編/平楽寺書店/1955年 この東方年表は、参考文献として多く参照されている。  
                      「藤島達朗 聖者の肖像」 奈良大学  
                      「智光浄土変(曼荼羅)と智光の浄土教」      (叢書名 智光曼荼羅)  
  
                      「妙好人の社会性」(『日本仏教学会年報』19号99〜100頁)>  
                                        本願寺や御上への絶対的な忠誠に対しても、妙好人の行動を評価し、  
                                        次のように記している。  
  
                                        「凡百の妙好人は、その彼の生活全体をもって、  
                                        正しくレジスタンスをやっているのである。ただそのあまりにも低い彼らの社会的地位や、  
                                        その生活の性格の故にそれを直に表面化せしめず、ひとへにその根底的事実として社会全体  
                                        を、おのづから支え且つ運んでゆくのである。」  
  
                        ※※  そのほかの多くの著書が有ります  ”藤島達朗”で検索してみてください。※※  
                                               
                                        法話CD試聴ページ (懐かしいお声が試聴出来ます。)  
  
                  
      【語録】  
                  
               WEBに記載されていたものより抜粋  
  
               T、岐阜方面のお寺 「満福寺」のページでの語録  
                   (先代住職の大谷大学時代での日本史の主任教授時代の語録)  
                   藤島達朗先生から「熊谷次郎直実はおっちょこちぃなんだよ」とまでだめ押しされて滅入ってしまった覚えがある。  
  
                              引用元ページT ⇒ 熊谷次郎直実  
  
  
               U、古田武彦講演会  コノハナサクヤヒメ  (木花咲耶姫=美穂津姫)  ページでの記述  
                  島根県美保関神社へ行きましたとき、私は親鸞研究の時お世話になった元大谷大学教授の藤島達郎氏を郷里に表敬訪問した。  
                  定年になって故郷に帰られていた。  
                  そのとき藤島氏が出てこられて「あなたは今、古代史に取り組んでおられるようだが、  
                 『古事記』『日本書紀』は当てにはなりませんよ。『出雲風土記』なんか、あれも駄 目です。」と言われた。つまり全部駄目です。  
                   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  
                  その時は、私の感覚では『古事記』『日本書紀』は信用できないが、『風土記』は何となく信用できるという感覚を持っていた。  
  
                              引用元ページU ⇒ コノハナサクヤヒメの真実 
  
  
                 また、古田武彦(古田史学会報)HPには前住職(藤島達朗)の名前が出て来ます。親交のあったことが伺えます。  
  
  
           (古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年8月8日 - 2015年10月14日)は、日本の思想史学者・古代史研究家。)  
  
                              新古代学の扉(古田史学会報) 
  
  
  
  
  
   
    達朗書「悠々楽天真」  
  
 (クリックで拡大 戻りはブラウザの←)  
  
  
  
   
    達朗書「和以貴為」  
  
  
             
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藤島建樹 (ふじしま たてき) 大谷大学名誉教授 専門は東洋史 定年後 中国の大学等で教鞭をとられ 真宗大谷派札幌別院輪番を四年勤められた。 ( 別院に輪番一人を置く。輪番は、住職の職務を代掌し、宗教法人たる別院の代表役員となる。) 現在、大谷大学同窓会長 学校法人真宗大谷学園評議員 お会いするときは、温厚で気さくな先生ですが、講演会等で全国を駆け回る忙しい日々を過ごして おられるようです。 真宗大谷派-Wikipedia 真宗大谷派(東本願寺)TOMO-NET 真宗教団連合 【著書】 1963 「元朝崇仏の一面」 『印度学仏教学研究』 11-1 1971 「元の集賢院と正一教」 『東方宗教』 38 1973 「元朝における権臣と宣政院」 『大谷学報』 52-4 1981 「元朝治下江南の士大夫たち」 『大谷学報』 61-2 1986 「元朝治下における漢人一族の歩み−−藁城の董氏の場合−−」 『大谷学報』 66-3 1987 「全真教の展開−−モンゴル政権下の河東の場合−−」 秋月観暎(編) 1987 『道教と宗教文化』 平河出版社 1988 「元朝治下華北の寺院−−真定・龍興寺の場合−−」 『大谷大学史学論究』 2 中国史とモンゴル ―『元史』釈老伝の場合― 大谷大学史学史学論究 8号 (2002.8) 元朝治下華北の寺院−真定・龍興寺の場合− 大谷大学史学史学論究 6号 (2000.3) 東洋史学・中国征服王朝史研究 「元朝治下華北の寺院 -真定・龍興寺の場合-」 「征服王朝における信仰形態 -金・元交替期の河東の場合-」 「元朝における政治と佛教」 「元朝〈宣政院〉考」『大谷学報』46−4 1964年 「元朝后妃の仏教信仰」『印仏研』16−2 1968年 「元朝崇仏の一面」印仏研11ー1 1963 「元の集賢院と正一教」『東方宗教』 38 1971 「戻る」
出雲の国「美保関港」 島根県松江市(2005.3.31 八束郡美保関町美保関から松江市に変わりました。) 島根半島の最東端に位置する漁港です。江戸時代から明治にかけては北前船の寄港で賑わっていたそうです。 恵比須さまの総本宮の「美保神社」や 1200年前に開かれた「佛谷寺」、関の五本松、地蔵崎灯台があります。 美保「関」 の「関」は鎌倉時代に設けられた。海の関所に由来。 ≪名称の変遷≫ 三火 ⇒ 三穂関 ⇒ 三保関 ⇒ 美保関 (古代) (鎌倉〜) (江戸〜昭和)(昭和30年4月合併〜) 美保関町は昭和30年4月13日、旧美保関町、旧森山村、旧片江村、旧千酌村の4町村が合併し、今日まで50年の歴史を積み重ねてきました。 美保関町美保関この小さな町(家数200軒ほど、人口はS30年頃に比べ半減)に、お寺は円浄寺の他に2軒有ります。 上記 浄土宗 「 佛谷寺 」 曹洞宗 「 宝寿寺 」 小泉八雲著 日本瞥見記より
美保神社のお札よりも、さらにわたくしの興味をひいたのは、神社の上の美しい山の頂上に ある禅宗の寺、宝寿寺の瓔珞であった。この寺の三十三観音・・日本の娘の美しさと操の理想 をあらわした、三十三相の観音が並んでいる高い壇のまえに、妙な光った色をしたふしぎな物 の固まりが、彫刻のしてある天井からぶら下がっている。それには、何百という毛糸の玉、色 とりどりな木綿糸の玉、それから絹糸の束、絹糸のきれ、棉布のきれ、そうかと思うと、雀の 形や、ほかの生きものの形を刺繍した財布、竹を編んでこしらえた物、その他裁縫した無数の 仕立物などがぶら下がっている。これはみな小学校の女生徒たちが、優美と可憐と慈悲の処女 ・・観音さまに奉納した物なのだ。この土地の女の子たちは、はじめて女の手芸・・裁縫、機 織、編みもの、刺繍の手ほどきを習うと、生まれて初めて自分で作り上げたそういう製作品を この寺へもってきて、「眼美抄にして」「所願の声を見下ろす」柔軟なる女仏にささげるので ある。幼稚園の園児でさえ、初めて自分の手でつくった作品・・小さな花のような柔らかな手 で、いろいろの模様に切り抜いたり、編んだりしたきれいな切り紙細工など・・は、みんなこ のお寺にもってきて納めるのである。
「戻る」 報恩講では読経につづいて親鸞聖人についての法話を説いていただきました。(2008年11月2日 PM 7:00〜) 法話では次のようなことを教わりましたので復習しながら簡単にまとめて見ました。 親鸞聖人 *1> <主な宗派の開祖>          ┌──────┐     ┌ 浄土宗 法然           比叡山延暦寺   ⇒  │ 曹洞宗 道元 ─┐            (天台宗)      │ 臨済宗 栄西 ─┘ ⇒ 中国(宋)へ渡る          └──────┘     │ 日蓮宗 日蓮            修行の場       │ ・                       │ 浄土真宗 親鸞                       └ *2>                         「御俗姓」 祖師聖人の俗姓(生い立ち)はここを参照下さい。                            影響を与えた人物として七高僧が上げられる。( 龍樹 天親 曇鸞 道綽 善導 源信 源空 )          ┌────────────────────────────────────────────────┐           平安時代 (古代)  藤原氏 貴族社会                   *3>             ↓        平家         20歳の頃の混乱最中の時代   『羅生門』の背景時代                 ↓    ↓   ↓      人々は「救いを求めた」           鎌倉時代 (中世)  源氏  武家社会  1192年頃          └────────────────────────────────────────────────┘                     ※歴史年表では平安と称された時代からすぐに鎌倉時代に変わったように記述されるが、                      この移行には7〜10年経過していると考えられる。          *1> 平安時代初期の僧侶最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。       平安末期から鎌倉時代はじめにかけては、法然・栄西・親鸞・道元・日蓮といった各宗派の開祖たちが比叡山修行。       最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。     *2> 本書は、『俗姓の御文』とも称される。これは宗祖親鸞聖人の御正忌報恩講に際して示された教語である。     *3> 芥川 龍之介の『羅生門』は『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を題材にした短編小説。                          『羅生門』を青空文庫で読む         <年代表> 「戻る」    
      舞う砂に 願うアジアの 共生化   2010/03/22 (講話を聞く前は、一体化)   昨日の春の嵐を句に詠んでいたところ、今日の法要の講話の中に住職は次ぎのような話を盛り込まれた。      (住職は定年後数回、中国の大学で教鞭をとられていた。)         ┌─────┐        │人的砂漠化│        └─────┘     ┌─────────────────────────────────────────────────────────┐            ┌────┐            │端的な例│            └────┘            モンゴルでは 有史以来、遊牧国家が形成       遊牧国家(ゆうぼくこっか)とは、遊牧民が支配階層を形成して組織された国家のこと。面的に広がる集約農耕の展開が       困難ではあるが、遊牧による牧畜に適した乾燥地帯が広がる中央アジア、イラン高原などに多く存在した。              安易な集約農耕開発により、持続の困難化→放置→砂漠化→遊牧の困難化              経済効率重視   →   大規模な耕作                            ↓                          牧草の根を根こそぎ                          耕作した為、砂漠に                          適合した牧草が継続的                          に育たなくなる。 → 砂漠化してしまうと                                    ↓                                 伝統的な遊牧に戻れない     └─────────────────────────────────────────────────────────┘          
      講話で気づいた意義        私たちは、共に生きる ことを念頭に継続的な経済を考えなければならない。               共に生きる       真宗のキーワード生かされている このことをテーマに、盛り込まれた有り難く仰いだ講話であった。      
         砂漠には 参考(他ページ参照)    
             人為的砂漠化        砂漠化は気候的要因と人為的要因がそれぞれ相互に影響し合い、進行していきます。これら2つの原因について、        さらに詳しく見ていきましょう。              気候的要因        気候的要因として、まず干ばつがあげられます。1968〜1973年に起きたサハラ(西アフリカ)周辺の干ばつでは        大地が干からびて、2,500万人もの人が被災しました。これ以降も、干ばつや少雨といった気候変動は続いています。        気候変動と環境問題(地球温暖化や森林破壊など)には何らかの関係があるのではないか・・・といわれていますが、        ハッキリしたことはいまだ解明されていません。 人為的要因              人為的要因        人為的要因として過放牧や過耕作、塩害、森林伐採などがあげられます。こうして植物が少なくなると風で土が        飛ばされる“風食”や水で土が流される“水食”などが起こり、大地は荒れ果ててしまうのです。        さらには、かんがい(地下水をくみ上げて農業に使う)によって地面が塩だらけになる“塩害”なども考えられ        るでしょう。また、砂漠化の根本的な原因として、そこに住んでいる人々の貧困および急激な人口増加といった        社会・経済的な問題があげられます。        世界の人口は,この100年間に4倍も増加しています。そこで、今後,さらに,世界の人口は増加すると仮説を立てます。        この人口増加に伴って安定した食糧を確保するためには,農地面積を拡大するか,あるいは,単位面積当たりの収量増加        を図る必要があります。農地の面積を拡大するためには,原野の開墾,開拓,水資源の開発,農地の基盤整備などが必要        です。一方,単位面積当たりの収量を増加するためには,灌漑排水システムの導入,肥料施用法の改善,多収量や病害虫        に強い品種の改良,栽培方法の改善,土壌改良など質的な拡大が必要です。この単位面積当たりの収量を増加させること        は土地の生産性を向上させます。これらのことを実現する手段として,水資源開発,農地の基盤整備,農村の総合的な構        造改善などの大規模な公共事業があります。近年,農業開発の質的向上が要求され,持続的農業に留意した環境にやさし        い開発技術が要求されています。    
                                                                「戻る」 携帯散歩(クリックで拡大) 2012.08.29 (水) この度、はじめて中庭を散策してみました。(本堂からは観ることができませんので、気にとめていませんでした。) <本堂横の廊下より> <庭に降りて撮影> (※ 聞くところによると、この中庭は2代前の住職が造られたそうです。) 2012.04.15(日) 今年の桜も、満開を過ぎ、葉が目立ってきたようです。 (鬼瓦は付録) 2011.08.15 (月) 今年の雪で折れた「切り株のオブジェ」が出来ていました。 愛おしく見守たいと思います。 2011.07.13(水) 本堂の回廊の修理が行われていました。 2011.3.20(日) 本堂の前のヒノキ属の針葉樹(檜!サワラ?翌檜?)が大雪で折れ、この度根元から切られていました。 子供の頃より、円浄寺には有るものなのだと、正式に「なんの木」か、気にもとめていませんでしたが なくなると、なんだか間の抜けた寂しい気がします。 「長い間ごくろうさまでした。お守り有難ございました。」 2009.3.22(日)の携帯散歩画像です。 今満開の見事な木蓮 近辺でも開花宣言のニュースを耳にしますが 今しばらくの枝垂桜 庫裏前の蘇鉄 前回来たときは実を結んでいましたが! 本堂横の椿も 今満開 (以前ここには大きい楠木があった。) 「戻る」 (本堂から、右下に切り株が少しだけ!) 「戻る」
【訃報】 平成22年4月7日 圓浄寺住職の母堂さま、藤島アヤ子様(98歳)がお亡くなりになりました。 近年お会いすることは有りませんでしたが、子供の頃会話されるところを横で見ていると いつも穏和で微笑を絶やさない対応をされていたことを記憶しています。 ご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。
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2016〜2017 法語カレンダー(←ここをクリックで全画面表示) 表紙 称名 (しょうみょう) とは み () () くことあります 1月 み (ほとけ) の み () (とな) ふるわが声は わが声ながら たふとかりけり 2月 人は 法を求めるに止まって 法に生きることを 忘れている 3月 帰ってゆくべき世界は 今 () う光によって 知らされる 4月 一切は (えん) において生まれ 緑においてあり 緑において () っていく 5月 きのう聞くも 今日またきくも ぜひに来いとの およびごえ 6月 深い悲しみ 苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある 7月 本当の (すがた) になる これが (ぶつ) の教えの目的である 8月 (おが) まない者も おがまれている 拝まないときも おがまれている 9月 お念仏 (ねんぶつ) 賛嘆 (さんたん) であり 懺悔 (ざんげ) である 10月 ただ念仏せよ 念仏せよ 大悲回向 (だいひえこう) の 南無阿弥陀仏 11月 衆生 (しゅじょう) に かけられた大悲 (だいひ) 無倦 (むけん) である 12月 永遠 (えいえん) 拠り所 (よりどころ) を 与えてくださるのが 南無阿弥陀仏の 生活である


法語カレンダー解説 (下関の光明寺 浄土真宗本願寺派のページより) 「戻る」

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        真宗宗歌                      1) ふかきみ法に あいまつる   み法 :みのり    身の幸なにに たとうべき   身の幸:みのさち    ひたすら道を ききひらき    まことのみ旨 いただかん   み旨 :みむね   2) とわの闇より すくわれし      身の幸なにに くらぶべき   六字:ろくじ    六字のみ名を となえつつ   み名:みな    世の生業に  いそしまん   生業:なりわい   3) 海のうちとの へだてなく    みおやの徳の とうとさを    わが同胞に  つたえつつ    みくにの旅を ともにせん